【NEWS】「僕たちバンドに何を期待しているんだい。….僕たちを当惑させているようにしか思えないんだ。」Joe Trohman(FOB)はファンとの交流について語る
Fall Out BoyのJoe Trohmanが個人のブログで、ファンからの期待と、ファンとバンドの交流について語った。ブログの中でJoeは、自分自身がライブを見に行った思い出や、憧れていたバンドと自分との関係をどう考えていたかを語っている。
これは尊敬と愛から書かれたもので、怒りや無関心からではない:
最近、バンドとして僕たちが、君たちのためにライブをやった後に何をしているかについて、一部のFall Out Boyのファンが話しているのを聞くことがあまりに多い。ファンの中には何かの権利を持っているとかん違いしている人がいる。バンドとして演奏が終わったあと僕たちに何を期待しているんだい。僕たちを当惑させているようにしか思えないんだ。
深い話になる前に、僕の生い立ちや、見てきたショーについて詳しく説明したい。
最初にTom PettyやHeartbreakersのメンバーに会ったのは20年前だったんだけど、まるで雲の上に登ったようだった。Petty、Cambellや他のバンドのメンバーと実際に会うことができたことが現実とは思えなかった。それまで彼らの曲を、恐ろしく音が悪い大型のラジカセでしか聴いたことのなかった僕が、生の演奏を聴いたことでまったく違う世界を広げてくれたんだ。
僕はそこから飛び出し、できる限り多くのバンドのライブを見た。大好きな曲を生で聴くことが、自身で作曲する曲に新しい目的をくれたんだ。自分達で作曲した曲を実際に自分達のバンドで演奏する姿を見て僕は圧倒されたよ。
僕や友達にはそれで十分だった。シャツは欲しかったけど。でもPettyに会おうとゲートの前で待つことなんてなかった。そんなのはおかしいと思った。Red Hot Chili Peppersやthe Jesus LizardやNINなど、僕が今まで何年も見てきた多くのパンクロックやハードコアのバンドについても同じだ。もし彼らに偶然会ったら「いいショーだったよ!」と言うだろう。でも僕はショーのために、体験をするために行っているんだ。写真やサインのためじゃない。彼らはすでに与えてくれているんだ、情熱的な一時間のライブをね。
それに、僕がそこにいることを彼らが歓迎してくれているのはわかっていた。個人的にそう言ってもらう必要なんてない。そういう問題じゃない。そんなことが頭をよぎったことなんて一度もなかった。
大事なのはライブで彼らの素晴らしい音楽を体験できるということなんだ。
僕が感じたいと思っていたことと、たくさんの人たちも同じ様に思っていた。それは存在し実際に起こったんだ。だから深く染み込んだ現実であり、意味のある思い出なんだ。簡潔で単純なことだよ。
これらの思い出や体験が今の僕を形作ったんだろう。自分にとってのバンドやアーティスト、そしてあなたにとって、そういう機会を得ることが出来るバンドの一員でいられることは幸せだ。
僕は確かに幸せだ。素晴らしいファンや、山ほどのブートを持っているのだから。僕らは4年間離れて、立ち止まっていた。そして何か新しいものを得るようにさえ感じた。君たちに感謝してもししきれないよ。
僕らは君たちのためにNewアルバムを作って戻ってきた。僕らはそのためにリハーサルをして、かっこいい作品を作る計画もした。君たちが本当に好きそうな曲を選んだんだ。それらをいっぺんにやるのは大変だったよ。一時間だったり、真夜中まで演奏していたこともある。僕らは少し年老いたけど、ガキの頃みたいハードなロックに挑戦しているよ。僕らは君たち全てのためにやる。
君たちの中にはそれでは充分じゃないという人もいる・・・まあ・・・それは悲しいことだけど。聞いて、本当にバンドメンバーを愛して、会いたいと思ってくれていることは理解してるんだ。でもそれだけが僕らに会いに来る理由なの?もし演奏せず、ただ久しぶりに挨拶しに来ただけでもいいと思う?それは本当に大事な事?
ポイントは観衆の中の君たちとステージ上の僕たちとの間で、日常の相互作用よりも凄いものにすることが前提なんだ。君たちは僕らに全てを与え、僕らも君たちに全てを与える。そしてそのあと、お互いがぶつかりあうことが出来たら最高だし、出来なくてもいい。出会わなかったら”ファックユー”にはならない。ただ起こらないだけ。
もう一度言わせてもらう。僕らは君たちを愛しているし、感謝している。ファン無しでは僕たちは存在しないし、意味もない。僕は事実に対して、常に忠実だと信じたい。君たちを尊敬するよ。たぶん僕たちは時々ちょっとはやりとりができると思うよ。
Fall Out Boyは現在行っている北アメリカ・クラブツアーをまもなく終え、この秋からアリーナツアーを行う予定。
翻訳: Conyac