【NEWS】Anti-Flagが当時Fat Mike(Fat Wreck Chords)やJimmy Iovine(Interscope)の誘いを断っていたと明かす
ピッツバーグ出身パンクロックバンドAnti-FlagのChris 2がポッドキャスト番組「Cautionary Tales」に出演し、RCAに所属するよりも前にFat Wreck ChordsのFat MikeやInterscopeのJimmy Iovineの誘いを断っていたことを明かしました。
『僕たちがFat Mikeに最初にノーを言ったバンドだと思うよ。』とChris 2は当時を振り返ります。『彼は「FatのサブレーベルHonest Donから出さないか?」と言ってきて、僕たちは「ノー、僕たちはFatから出したいんだ。」と言ったんだ。そうしたら彼は「Fatから出すにはまだ早い。」と言ってきたから、僕たちは「消えろ」って言ったんだよ(笑)』結果的に1999年にGo Kart Recordsからリリースされた2ndアルバム「A New Kind Of Army」は20万枚を売上げ、Fat Mikeも無視できなくなりました。
『Mikeは自分の過ちに気づいて「次のアルバムをFatから出さないか?」と言ってきた。僕たちの人生が大きく変わると思ったよ。これは僕たちにとって大事な教訓になったんだ。だってFatと契約するってことは、Anti-FlagがNOFX, No Use For A Name, Good Riddanceと一緒ってことだからね。俺たちはやったんだ。俺たちが引退したら、アメリカンパンクのラシュモア山にいるはずだってね(笑)それで「Underground Network」をFatから出したんだ。そしたら全然売れなかった。Go Kart Recordsから出した「New Kind Of Army」より全然売れなかったんだ。それが俺たちにとっての重要な教訓だよ。自分たちが世の中に出した音楽に誰かが興味を持つことを、自分たちのアルバムの後ろにいるレーベルが保証するわけではないってこと。』
2003年にバンドはRage Against The MachineのギタリストTom Morelloをプロデューサーに迎えたアルバム「he Terror State」をFatからリリースしました。そしてMorelloが名プロデューサーRick Rubinにアルバムを聞かせたところ、Rubinは自身のレーベルAmerican RecordingsからAnti-Flagの次のアルバムを出したいと言い出します。RubinがAnti-Flagに目をつけていると語ったことで、突如バンドはトップのメジャーレーベルすべてと話し合いの場を持つこととなりました。その中でバンドはレジェンド・プロデューサーであり、メジャーレーベルInterscopeの共同創始者Jimmy Iovineともミーティングを行いました。その時のことをChrisはこう語ります。
『僕たちはユニバーサルのビルに行って、部屋に入ると、本棚の前にあるフロントデスクに素敵な女性がいた。そして彼らが本を引き抜くと、文字通り本棚が動いて、そこがJimmy Iovineのオフィスだった。ピッツバーグから来た4人のパンクロックキッズからしてみれば、別に面白くもなかったよ。』
そしてChrisは今までにやってきたメジャーレーベルのトップとのミーティングのなかでも最高の瞬間だったと語ります。「彼は「君たちが政治的だということは知ってる。僕は今このアルバムの仕事をしていて、みんなにも聴いて欲しい。」と言ってU2のNewアルバム(2004年作「How To Dismantle An Atomic Bomb」収録曲 “Vertigo”)を爆音でかけたんだ。本当にうるさくて、ドラマーのPatは手を挙げて「音を小さくしてくれませんか?」って言ってたよ(笑)秘密のドアにも彼がチョイスした曲にも僕たちの心は響かなかった。でもあとで知ったんだけど、彼らは僕たちが別のミーティングに行くのを遅らせるために、Jimmyを使って僕たちを引き止めていたんだ。」